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「歩道橋の魔術師」中華商場〜台北ノスタルジー

台湾の小説家、呉明益氏の「歩道橋の魔術師」を読む

この小説はかつて台北にあった中華商場というショッピングモールを舞台にしている。
呉明益氏も、ここで靴屋を営む両親のもとに生まれ、21歳まで暮らしたという。

この一冊に納められている9篇の小説は、彼の原風景である「商場」をいずれも舞台にし、屋上に住む魔術師と登場人物との交流を通して、現実と魔術師が見せる虚実に夢、戸惑いを感じつつ生きる人々の姿が描かれています。

 子どもたち共に、本書のもう一つの主人公とも言えるのが、本作の舞台となる「中華商場」である。1961年より92年まで、台北市・中華路に実在した商業施設で、鉄筋コンクリート造3階建ての建物が8棟、南北にー台北駅の手前(忠孝西路)から愛国西路まで1キロにわたって立ち並び…..。商場は中華路の車道の真ん中に建てられ、東側(中山堂側)に車道(片側3車線)が走り、西側(西門町側)に線路(台湾鉄道….)と車道(南向き3車線)があった。
中華商場の建物を南北に結び、同時に車道と鉄道を跨ぐ歩道橋が、69年より断続的に設置された。歩道橋は中華商場各棟の2階で直結し、中華路の向かいにある百貨店や劇場とも連結し、多くの買い物客を呼び込んだ…..

西門町と言えば、日本統治時代からの台北の大きな商業地の一つであり、若者の街でもあり、東京で言うと、渋谷みたいな所であろうか?

中華商場はもともと、外省人兵士、難民向けのバラックを建て替えられて建てられたという。1階を商店として、ロフトがあり、住居として使われている。2階は歩道橋で対岸とつながれ、当初は住居であったが、後々商店化されていっていったという。

60年代、70年代、流行っていた中華商場も、80年代には他の地域の商業地が栄える共に廃れていき、台湾鉄道の地下化、地下鉄工事に伴い、92年に全棟が解体されたという。

この小説の面白さは、主人公が持つ、抱く不完全さともやもやしたもので、魔術師の存在や「中華商場」が持つ都市の猥雑さや混沌が相まみえるところなんだと思う。
都市は成熟とともに、その発展に伴い取り残された猥雑さを消し去る。中華商場は解体され、今は整然とした街路樹により、新しい秩序が生まれている。

どの街の発展にも、起こることだと思う。台北に行くたびに、その寂しさを感じるが、それは街が成熟していっているということでもあるのだと思う。